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恋とか愛とか情とか


美輪明宏さんが20年以上前に言っていた言葉が心に残っていて、事あるごとに思い出す。

それが、

「恋は愛に変わり、恋愛となる。

 愛は情に変わり、愛情となる。

 恋と愛と情には順序がある。」

一言一句間違いがないといえば、きっと間違っているとは思うけれど、

こんな話をしていた。

これが中学生くらいの時の話。

山下少年は「恋と愛と情の違い」を知ったつもりになったわけです。

それから20年以上経っても、色褪せないこの言葉。

「恋愛と結婚は違う」という人もいれば、

「恋愛の延長線上に結婚がある」という人もいる。

それ以外にも恋愛と結婚というのは比較しやすいものなのなんだろうなと思う。

婚活支援に関わるようになって、

恋愛って何?

結婚って何?

結婚ってする必要あるの?

婚活してまで結婚する意味って何?

みたいなことを常に自問自答する日々です。

その中で、美輪明宏さんの言葉も一つの真理のように思うわけです。

結婚やら家族やら色々と考えていくうちに見えてくるものとして、

「結婚相手だけが唯一選ぶことができる相手」ということ。

子どもは親や親戚を選べないし、親は子どもを親戚を選べない。

広い意味での婚活をする時、つまり恋愛から結婚にいたろうが、

結婚相手を選ぶわけですが、

親や親戚は選んでいないのに物心つけば、いつの間にか家族だし、

結婚すれば、結婚相手は選べても、親戚まで選んでいたら結婚はたぶんできないさそう。

子どもを選ぶことはできないけれど、生まれてくれば家族なんだよなぁと思うと、

ちょっと不思議な気がしてしまう。

その不思議さを当たり前に受け入れている。

親子の間にまったくの恋愛感情がないかといえば、

一部分でそういった事例はあるにせよ、

ほぼほぼ恋愛感情がないまま、愛情を注ぎ、情が移っていくもののような気がしなくはない。

これもすべての家庭が家庭円満ではないけれど、

多くの親が子どもへ愛情を注ぎ、子どもはその愛情をいつかは受け入れて家族になっている。

極論で話をすれば、

恋愛と結婚の大きな違いは、

「恋をしなければできないけれど、結婚は相手のことが嫌いでもできてしまう」ものように思う。

『え?』

と、思う人がいても良いのだけれど、

政略結婚や親が決めた結婚、許嫁なんかはその最たるもだし、

交際0日婚なんて言葉を最近耳にするようになったけれど、

交際して結婚できる時代は、明治以降からの常識のような気もしなくはない。

昔は女性は3歩下がって歩く時代だったと考えれば、

逢い引きとか密会とか不純異性交遊とか…

恋愛ってのは、近代になってようやく市民権を得たといえば得たのかもしれない。

恋愛結婚至上主義が大前提になって、

つまり、自分で相手を選ぶ猶予を与えられた結果、

選びきれない人が増えているのかなぁとも思う。

自由の不自由さというやつで、

幸せといえば幸せだけれど、

選べる反面、選ばれなければいけなくなったので努力が必要になって、

面倒臭くなったとも言えるわけだ。

兼ねてから、僕は妻や子どもに対して「共同生活者」だと思って接しているつもりだ。

かといって、妻に対して極端に冷たい態度を取っているわけじゃなく、

たぶん、はたから見れば、普通の夫婦か、普通の夫婦以上に仲がいいと思う。

恋愛もして、結婚もしているので、

美輪明宏さんの言葉通りの展開で、

「恋愛」や「愛情」と区別するよりも、

「恋愛情」みたいなものに近いかもしれない。

ただ究極的に家族にとって大事なものは「愛情」だったり「情」のような気がしなくはない。

「愛情」とは変幻自在で、一般的には男女間の恋愛に使われるけれど、

「友情」という愛情はあるだろうし、家族に対しても愛情があるだろうから、

「恋愛」に限って使われる言葉じゃないはずだ。

「情」、つまり「情け」は、単純にいえば「人に優しくすること」であって、

「人に優しくすること」とは、「相手のこと考えて、人生が幸せになるように考えての言動」ということじゃないかと思う。

誰だって誰に対しても人に優しくすることは可能な気がするのは僕だけだろうか。

もちろん、ひどい嫌がらせを受けてまで優しくする必要はないとは思うけれど…

すごく現実的に考えると、

結婚とは好きな人でなくてもできるもので、

法律でいえば、20歳以上であれば、お互いの合意の上に婚姻届を出して受理されれば結婚できる。

恋愛結婚至上主義の世の中になって、

結婚するまでが重要になりつつある。

例えば、結婚する前は同棲しておきたいとか、体の相性が大事とか、

離婚しないためのお試しを用意するのと同時に、

別れられる猶予期間をつくっている。

ちなみに、統計学上では長く同棲すればするほど結婚できないとか…

好きじゃなくても結婚しなさいというつもりはないけれど、

相手のことを知らない、好きとか分からないまま結婚していた時代があって、

それでも円満な家庭を築いていた人もいただろうということも頭に入れておきたい。

僕の考えた1つの結論として、

結婚してから、夫婦として家族としてどうなるかを考えることの方が、

結婚前にあれこれ考えるよりも重要であるということだ。

熟年離婚が一時期話題になった。

今も同様な現象は起こっているはずだ。

熟年離婚の世代はまさに恋愛結婚至上主義の世代でもある。

離婚を受け入れやすい世の中になったとも言えるし、

離婚することが個々の価値観としてそれほどタブー視されなくなってきたようにも思う。

再三繰り返しになるけれど、離婚が失敗というわけではないし、

恋愛結婚だろうがお見合い結婚だろうが、どんなプロセスを経ても、

離婚する人は離婚するし、離婚しない人は離婚しないから、

離婚するかどうかは杞憂のようにも思う。

恋は盲目と言われる。

恋は勘違いとも言われる。

恋は妄想なのかもしれない。

結婚はリアルである。

結婚前にあれこれ考えるよりも、

結婚後にあれこれ考える意識にシフトした方が、結婚への近道のように思う。

結婚してみて、離婚するかどうかは分かるのだから、

近道を進んでみても悪くないような気がするのだけれど、

これは既婚者の余裕なのかもしれない。


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