終活から考えるライフプランニング
- 婚活先生
- 2017年11月30日
- 読了時間: 3分

自分が亡くなった時のことを考える活動のことを、
最近では「終活」と呼びます。
「終活」と「婚活」にはどんな関係があるのでしょうか。
自分の人生の最期のことを考えたことがあるでしょうか。
僕は、僕が死んだ時に「泣いてくれる人がいるのか。」ということを考えたことはありました。
しかしながら、まだまだそれは実感としてはなく、ただなんとなくでした。
「終活」について強く意識したのは、
祖父と祖母が亡くなって、
両親がドタバタしている様子を見てからでしょうか。
亡くなった人を弔うことになんの意味があるのか分からないと言う人もいるでしょう。
自分が亡くなった後に、家族に迷惑をかけるくらいなら、
誰か知らない人に供養してもらった方が良いと思う人もいるかもしれません。
僕が亡くなった後、粗雑に扱われようが、盛大な葬儀を行なってもらおうが、
正直なところ僕には分からないでしょう。
こればかりは、死んだ経験がないので分かりませんが。
僕が葬儀に参加して感じたのは、
亡くなった家族が故人との別れを納得する形でする機会だと思っています。
話を少し戻して、
「僕の葬儀を執り行ってくれる人はいるのか。」
「僕の死を偲んでくれる人はいるのか。」
死んだ僕には関係ないことかもしれませんが、
できれば誰かに、
「いい人を亡くした。」
と言ってもらいたいとは思います。
また、死の間際に、まだ意識がある段階では、
やはり、家族に見守られていたいと思うようにも思います。
かねてから、両親には、
「子どもが親より先になくなるのが、最大の親不孝だ。」
と教えられてきました。
事故や病気などどうしようもない場合もありますが、
寿命だけで考えれば、
親の方が先に亡くなることの方が一般的です。
ひとりっ子で独身であれば、あとは、親族がいるかいないかもありますが、
両親が亡くなった場合は、天涯孤独の道を歩むことが想像できます。
日本は保証人社会ですから、
家を借りるのも、病院に入院するのも、保証人が必要です。
独身者にはかなり厳しい社会と言えます。
もちろん、救済措置はありますが。
あと、自分の葬儀を考えられるのは、
とても仲の良い友達などでしょうか。
それでも、家族に自分の葬儀の話をするのもなかなか難しい現状で、
友達に自分の葬儀の話ができるでしょうか。
仮に自分の葬儀を行うにして、
あなたが頼まれる立場だとして引き受けることができるでしょうか。
結婚していようと、子どもがいようと、
孤独死する場合はあります。
伴侶に先立たれ、子どもと疎遠になれば、
孤独に人生の幕を閉じざるを得ない可能性はあります。
それでも、病院に入院して最期を看取ってもらえるかもしれません。
自分の人生最期の時や、その直前をイメージした時に、
人は1人でも大丈夫なのだろうかと不安にはならないでしょうか。
人生の最終局面を考えた時に、
伴侶がいるいない、子どもがいるいないを少し考えてみることも、
人生に置いて大切なことではないでしょうか。
伴侶や伴侶に代わるような人がいることの幸せ、
不妊症や晩婚化による高齢妊活だけではなく、
もともと男女ともに子どもを授かれない、授かりにくい体質だってあります。
それでも子どもが欲しいと思えば、
特別養子縁組なども考えられるでしょう。
結婚するにも同性婚が認められていない日本では、
結婚すること自体が困難な場合もあります。
結婚までは行かずとも、「同性パートナーシップ証明書」というものもあります。
人間は家族を形成して生きてきた生き物だからこそ、
葬儀などの文化が発達したのかもしれません。
家族を作れば、幸せな葬儀で弔ってもらえる訳ではありませんが、
まじめに結婚を考える時に、
自分が死ぬ時に、どういった状況をイメージするか、
つまり「終活」、有終の美はどう飾るかを考えた上でのライフプランニングが必要かもしれません。
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