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死と向き合った時に「家族」の重要性が見えてくる


週1回程度のブログ更新を心がけていたのですが、

今週は、私事で時間がつくれませんでした。

実は、

先の日曜日の夕方に、

近い親族が危篤状態にあるという知らせを受け、

一家総出の家族5人で、

沖縄から京都の搬送先の病院まで行って、

その知らせで、

「危篤なので会っておいた方が良い。」

「火曜日に主治医から詳しい話がある。」

とのことで、

飛行機の時間もあったので、

着の身着のままは言い過ぎですが、

急支度で出発しました。

京都についたのは、深夜1時。

残念ながら、ICUに入っていたため、

面会時間外だったために面会することが叶わず、

翌日の面会時間に面会することになり、

その日は遅くにホテルに泊まることになりました。

翌日、面会時間の30分前には、近親者一同が揃っていました。

いろいろなタイミング重なったので、近親者が揃うことになったわけですが、

家族の絆の凄さに驚かされました。

搬送されてしばらくは意識不明の危篤状態だったのですが、

ここ数日で少し状態はよくなったものの重篤状態は未だ続いています。

日曜に出発し、火曜に詳しい話があるということで、

火曜日までは関西に滞在し、火曜に話を聞きました。

若干ですが、状況はよくなり、

入院期間が伸びることになりました。

妻の仕事や、子どもたちの学校があるので、

水曜には、我が家は帰沖しました。

現在は、京都に数名の家族が残っている状況です。

こんな話を聞いたことがあります。

母1人子1人、旅先で母親が転倒し、

大腿骨を骨折して、入院生活を免れない状態になったそうです。

母親は年金暮らしではあるものの、

子どもに母親以外の家族はなく、仕事もありました。

入院すれば、それなりに入院生活を支えいく必要があります。

介護休暇があったのかは分かりませんが、

旅先の慣れない土地で、サポートしていくのは難しいということで、

地元の受け入れ病院を探し、なんとか転院することになったそうです。

こういった入院のサポートや介護のために家族が必要だから結婚するというのは、

本末転倒のように思いますが、

家族がいるということは、そういった支援や介護がしやすくなる状況をつくる事でもあります。

意識があれば、京都ー沖縄となると、なかなか難しいのかもしれませんが、

受け入れ病院を探し、転院もできるのかもしれません。

しかし、意識が戻らないため、現在は京都の病院で入院生活を続けるしかない状態です。

そんな中、我が家は残念ながら残れませんでしたが、

残れる家族がいたことは、結婚し子どもがいたことの強みなのかもしれません。

死は必ずしも誰にも訪れ、

老化による介護もほとんどの人が支援を受けることになるはずです。

自分や家族の「死」や「介護」を目の当たりにしたときに、

「結婚」を決意する人は少なくはありません。

現在、日本の病院制度では、家族がいないと難しいものもあります。

入院するに当たっても、保証人が2人必要など、

今後、課題になっていくかもしれません。

元気なうちは「死」や「介護」を意識することはほぼないかもしれませんが、

「死」や「介護」を目の当たりにしたり、「死」を「介護」について深く考えるときに、

「家族」や「結婚」、「子ども」が姿を表すのです。


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