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なぜ、人は結婚するのか?


結婚という仕組み

婚活支援に携わりはじめて疑問に思ったことの一つに、

「なぜ、人は結婚するのか?」

ということでした。

それこそ就職と違って、生活に関わるものではなく、

親族や友人に口うるさく言われることはあっても、

しなくてもよいもがまさに結婚です。

近代諸国では、結婚制度が整備されており、

結婚すればなんらかの恩恵を受けられるものの、

結婚制度が整備されようがされまいが結婚という形式は取られてきた。

結婚のメリット・デメリットは置いておいて、

そのような関係性を求める傾向はあるのだろう。

フランスでは、事実婚が認められ、

お互いが納得した上で共に生活することが重要であって、

契約を必要とする結婚という形式は必要なくなっている。

それでも、結婚する人はいるのだろう。

まだ、一夫多妻制の国もある。

必ずしも独占関係を約束するものが結婚ではないが、

愛し愛されるべき相手を公に証明するものではあるようだ。

 

僕はといえば…

僕はといえば、「結婚」を意識したことがあると言われれば、

中高生の多感な時期に、

『自分は結婚できるのだろうか?』

という自問に対して、

『どーせ、自分を相手にしてくれる女性なんていないだろうから、結婚しないのも仕方ないな。』

というどちらからといえば、結婚に消極的な答えを導き出していた。

「結婚」というものは、

この世に生を受けた以上、必ず親は存在し、

ほとんどの子どもが生みの親の下で暮らす。

一昔前を「皆婚時代」と呼んだように、

「結婚」は今の子どもたちが「インターネット」が当たり前のように、

すぐそこにあって当たり前のものだったので、

「結婚」がそこら中に転がっていて、

それほど、珍しいものではなかったし、

別に必ずしなければいけないものでもないという認識もあった。

『モテないのだから、一人で生きるのも悪くない。』

これが僕の当時の感覚だ。

もちろん、中高生の多感な男子だったので、

好きな女子もいたので、恋愛に興味がなかったわけではないが、

じゃぁ、結婚願望があったかといえば、ほぼなかったと言っていい。

まずは【いい人】ありきだったわけだ。

こういう人は少なくない。

多くの人は【いい人】がいた結果の先に「結婚」があるように思う。

ちなみに、僕の兄は非常に結婚願望の強かったことを覚えている。

 

妻と出会って…

恋愛に興味があって、【いい人】とはいかずとも、

気になる女の子と付き合ってみたいという思いはあったので、

仲良くなった女子の一人である妻に告白することから、交際がはじまった。

交際を続けていく中で、妻が【いい人】になり、結婚することになったわけだ。

婚活支援を携わりはじめ、

結婚相手を探すために婚活するもののなかなかうまくいかない現状を目の当たりにするにつれ、

自分がなんとも奇跡的に結婚できたものだということが分かってきた。

妻と出会って、そのまま結婚した。

そこに「なぜ、結婚するのか?」という疑問はなく、

【いい人】がいたら結婚するものという認識があったのと、

男性として、何年も付き合った女性と結婚することは責任をとるという日本的に感覚もあった。

結婚はすべきものではないけれど、

【いい人】がいたのなら、結婚すべきものだと言ったような認識はあった。

恋愛の延長線上に結婚という認識が自然と身についていたように思う。

それは、僕としては、男性として当たり前の感覚だった。

 

結婚はすべきものなのか?

結婚がすべきものか、そうでないのかといえば、

しっかりとした知識を持って、

納得と理解の上で決断するのであれば、

結婚はしなければいけないものではないだろうと思う。

「なぜ、人は結婚するのか?」という命題の答えを探るべく、

婚活関連の本を読み漁ったし、

それだけではなく、結婚しない人の本も読んだ。

しかしながら、この謎は迷宮のずっと奥の方へ進むばかりで、

解決の糸口は遠のいていくようだった。

それは、当たり前の話で、

多様な価値観が尊重される時代なのだから、

さまざまな人生観、さまざまな結婚観が尊重されるし、

それ相応にそれぞれの言い分はあるのだ。

 

婚活先生としての一つの答え

個人レベルでは多様であり、それぞれの意見になるし、

社会的にみても、

なかなか結婚するメリットを感じない、

もしくは、結婚するのに踏み切る理由を見つけきれない時代になっているように思う。

しかしながら、婚活先生として一つの答えを提示しておきたいと思う。

「なぜ、人は結婚するのか?」という問いは迷宮入りしたままなので、

結婚し、子どもが生まれたことで芽生えた価値観を紹介したいと思う。

親にとって、子どもに求めることは、

五体満足とは言わなくても【生きていること】だけで十分だと思っている。

ただ、欲も出るから、

生きているという前提条件の上で、

健康であるとか、社会的に苦労しないとか、

幸せに溢れた人生を送って欲しいと願うと思っている。

これは、親が子どもに望むことだ。

子どもが成長するにつれて、

僕自身が我が子の結婚を望むようになった。

婚活支援に携わっていて、結婚したくてでもなかなかできない現実を見たせいなのかも知れない。

僕にとって、「夫婦」や「家族」は【幸せの象徴】である。

だからこそ、子どもの結婚を望むのかも知れない。

それ以上に、子どもが幸せな家庭で育ったという証こそが、

【我が子の結婚】なのかも知れないと考えるようになった。

【幸せな家庭で暮らしたらか、幸せな家庭を築きたい。自分なら築けるだろう。】

我が家の子育ての成果を測る基準は、子どもが結婚願望を抱くかどうかのように思う。

あくまでも、親としての基準であって、子どもが背おおうべきものではない。

何も言わずとも、そう思ってくれるようになることこそ、

僕にとっての【子育ての成功】と呼べるように思う。

不妊治療で子どもを授かった。

つまり、妊活で子どもを授かったし、人工授精で授かったので、

純粋に自然に生まれてきた人生を生み出すのかも知れないという不安があった。

親の都合で治療して、ある意味、ガツガツして生まれてきた子どもで、

何もしなければ、生まれなかった子どもたちであり、人生なのかも知れない。

そう考えた時に、不妊治療に違和感を覚えつつも、

生まれてくる生命、人生を必ず守ると胸に誓ったからこそ、

幸せな家庭の中で育って欲しいという思いは強い。

だからこそ、その成果として子どもたちには「結婚願望」や「家庭願望」を持って欲しいなと思うのかも知れない。

決して、結婚しないことが親不孝だとか、

「結婚願望」を抱かなかったから、家庭が破綻しているとかいうつもりはない。

あくまでも、婚活先生というよりも、山下幸二という一人の人間が、

「なぜ、人は結婚するのか?」から辿り着いた考えでしかない。

だから、子どもたちに「結婚の強要」をするつもりはない。

 

マッチ売りの少女が思い描いたもの

僕の考えでいけば、中高生の頃、「結婚願望」がなかったのは、親不孝だったのかも知れない。

と言っても、「自分を好きになってくれる【いい人】さえいれば結婚する」という無意識もあった。

なかったのは、自信なのだと思う。

結婚しなければいけないなんてことはないけれど、

独身と比べれば、結婚によって失われるものもあるけれど、

結婚によって獲得するものもたくさんある。

独身を貫いていないので、その差が分からないだけだ。

したいこともできるし、独身の独身自慢を羨ましいと思ったことはないので、

結局、僕は結婚して良かったのだろうと思う。

アットホームとか、家族とか、なんか昔はあったかいものだったように思う。

マッチ売りの少女は、あったかい家庭を夢見る。

昔から、あったかい家庭は人が求めるものだったのかも知れない。

シンデレラや白雪姫などのプリンセスが王子様と結婚していくのは、

それなりにメリットがあるだろう。

しかし、マッチ売りの少女が夢見るのは、素朴とはいえないかも知れないけれど、

あったかい家であったかい料理を食べる家族の姿なのだ。

未婚化・非婚化に伴い、いつのまにか、家族が遠くになっていくような寂しさを感じる。

あのマッチ売りの少女は、結婚しているのだろうか、それとも婚活に励んでいるのかも知れない。

自分の貧しさゆえに、結婚を諦めることだけはあって欲しくないものだ。


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