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なぜ、結婚しないことを選ぶのか?

  • 婚活先生
  • 2017年5月19日
  • 読了時間: 7分

マズローの欲求五段階説とは

マズローの欲求五段階説から、

「なぜ、結婚しないことを選ぶのか?」というのを、

かなり偏った見解になることが予想されるけれど、

解釈してみようと思います。

ざっくり説明すると、

下位の欲求が満たされないと、上位の欲求が生まれないという考え方です。

最下位の欲求は「生物的欲求」で、そもそも本能的に持っている欲求です。

食べたり、寝たり、排泄行為をしたりと生理現象と考えてもらって良いでしょう。

空腹や睡眠不足を解消しなければ、何もできないということです。

ある程度、生物的欲求が解消されれば、

それを維持するために、安全な生活を安定して送れるようにしようという「安全欲求」が生まれます。

日本の場合は、子どもの頃から、ある程度、生物的欲求や安全欲求は満たされていると考えていいでしょう。

もし、無人島に1人で住み始めた時には、

雨風を避ける家を建てたり、食料に困らないように道具をつくったり、作物を育てたりと、

まずは、自分が安全に安心に暮らせるようにすることを優先するのです。

自分の身の安全が確保されると次に生まれる欲求は「所属と愛の欲求」です。

集団に属したいとか、仲間が欲しいとか、

人間が社会性の生き物と言われている所以ともいえます。

社会に属していると安心するという気持ちは、

人間が自然に求めるものであると同時に、

最低限の生活が確保されている証拠でもあります。

これも、基本的に家族や地域、学校、職場で過ごしていれば、

そこそこ満たされているものでもあります。

集団で孤独感を感じた経験がある人もあると思いますが、

次の「承認の欲求」が関わってきます。

集団に属すと、

その中で「認められたい」という承認の欲求が生まれます。

つまり、集団にいるだけでは満足できないのもまた、

人間の基本的な心理だと言えるのです。

この場合は、集団の中に実際にいるということよりも、

実際に集団にいなくても、「絆」のような結びつきを感じるということになります。

裏を返せば、集団の中にいて、孤独感を感じる時、

「自分が認められていない」と感じる場合が多々あります。

自分の生命の危機から守られた状況で、

社会的に認められて、ようやく「自己実現の欲求」へと進んでいくことができます。

自己実現の欲求とは、自分の能力を最大限に発揮して「自分らしくありたい」と思いはじめるのです。

結婚は、「究極の承認の欲求」であり、「究極の自己実現」と言えます。

そういった意味でも、このマズローの欲求五段階説は参考にすることができます。

 

どの階層の欲求が満たされていないのか

日本に暮らしていれば、

ライフラインは充実していますし、

生活保護等を考えても、

憲法で「生きる権利」が保証されている点からも、

「生理的欲求」と「安全の欲求」は満たせているでしょう。

現在は、高齢者が社会と繋がる場が少ないことが問題視されていますが、

結婚する世代において、なんらかの形で社会と繋がることはできている状況ではないでしょうか。

まずは、親族や兄弟がいることや、

働かなければ生きていけないので、仕事をすれば誰かと交流がある。

もし、働けないのであれば、それなりの福祉サービスなどで人との繋がりは生まれるように思います。

所属と愛の欲求は、まずまず満たされていると考えられるのかもしれません。

そう考えると、「承認の欲求」が満たされていないケースが考えられれます。

さらに踏み込めば、「究極の承認の欲求」を満たしてくれるような相手が見つからないから、結婚へ進めないのかもしれません。

それ以前に、

「自分は社会的に認められている」と感じる人はどのくらいいるのでしょうか?

「自分は会社や社会の歯車にしか過ぎない。」

と感じている人は少なくはないかもしれません。

この感情はつまり、

「人としてではなく、感情のない歯車というものとしてしか見られていない。」

と言い換えることができます。

こういった感情が浮かび上がれば、自分に自信が持てなくなるのです。

「社会に属しているものの、社会的に認められていない自分が、誰かに愛されるはずがない。」

と感じるようになるかもしれません。

「そんなことはないよ。」

と言われる方もいると思います。

僕もそう思います。

社会的に認められている人でも結婚を選ばない人もいますが、

ここで提起したいのは、

結婚しないことを選ぶという選択は、2通りあって、

十分に承認の欲求が満たされているけれど、

自己実現として「結婚」がない場合と、

承認の欲求が満たされていないために、

結婚したいと思っているけれど、自己実現に進めない場合で、

後者の人がどれくらい存在するのだろうということです。

 

経済力と未婚率を結びつける危険性

年収はその人の社会的評価の指標の一つと言えます。

優秀な人間ほど、年収が高いと推測されるからです。

あくまでも、一つの目安でしかありませんが、一つであることに疑う余地はないでしょう。

つまり、

年収が低いことが「社会的に認められていない」と感じさせ、

承認の欲求を満たせていない場合があるということです。

男女平等へと進んでいるかもしれませんが、

妊娠・出産は女性だけという事実は生物学的に今のところ変えようがありません。

どうしても性差による不平等は存在するので、

家庭という単位の中で、産後の子育てに時間が取られてしまうのであれば、

男性が働かなければいけない環境が整います。

それはお互いによく知っているので、

結婚を決めるときには、そろばんを弾くことは賢い行為と言えます。

そうなると、

男性はある程度の経済力がないと結婚してはいけない、

女性はある程度の経済力のある人と結婚しないと幸せになれないという不安が生じるのは当然です。

実際、正規雇用・非正規雇用者の間の既婚率を見れば、

非正規雇用者の既婚率は、

正規雇用者の既婚率の半分以下程度です。

こういった論法を進めていけば、

非正規雇用の男性はどんどん結婚から後ずさりするしかなくなるように思えます。

行き着く先は、

「自分なんて結婚してはいけない。」

と感じてしまわないか心配なのです。

マズローに話を戻すと、

「経済力がない」「非正規雇用である」ことが、

承認の欲求を満たさない力になって動くことです。

あくまでも、経済力とは社会的な承認度の一要素であって、

人格全体に対するものではないということです。

 

結婚を諦める必要はない

雇用関係の承認の欲求を取り上げましたが、

それ以外にも、

「自分は無価値だ。」

と感じる要因はあるかもしれませんが、

本来、人に優劣をつけることはできません。

最終的に判断するのは自分自身なのです。

「承認の欲求」も、

最終的には、自分が「認められている」と感じていることが大事であって、

仕事ができて、実際に認められている人でも「承認の欲求」が低い人もいますし、

逆に、誰も認めていないと思っていも、「承認の欲求」の高い人もいます。

非正規雇用でも、経済力がなくても、

生活は楽なものとは言えないかもしれませんが、

結婚している人もいるし、子どもを養っている人もいるのです。

「お金がなくても大丈夫だ。」

というつもりはないです。

結婚したいと思える相手が見つかれば、

結婚するために、いかにお金を生み出すかを考える柔軟性があるのが人間の可能性だと言いたいのです。

未婚率上昇のさまざまな要因が考えられています。

僕は「結婚できない日本死ね」で書いたように、

仕事の忙しさの方がよっぽど問題ではないかと思っています。

疲れて帰って来れば、生理的欲求を満たしたいので、

それ以外のことはしたくないのです。

結果的に、生きるために働き、疲れて食欲と睡眠欲を満たしたいと思う生活を繰り返せば、

「究極の承認の欲求」であり「究極の自己実現の欲求」である「結婚したい」という欲求が生まれないのではないかと思います。

とはいえ、社会を変えるのは難しいので、

独身者だけではなく、既婚者も含め、

「結婚したいと思えない社会」に対する問題に対して、

意識改革が必要なのではないでしょうか?


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