新しい家族の形を考える
- 婚活先生
- 2017年6月21日
- 読了時間: 7分

時代は変わる
時代は変わる。
昭和の時代から平成の時代へ。
皆婚時代から、未婚当然時代へ。
「未婚当然時代」とは、ずっと未婚化について追いかけ続けている、
にらさわあきこさんが出版して本のタイトルだ。
皆婚時代は、
「男は仕事、女は家庭」と、
日本のみならず、先進諸国では分かりやすい役割分担ができていた。
そのために、仕事がしたい女性は虐げられてきたし、
ともすれば、家庭に入りたい男性を排除してきたかもしれない。
現在、政府は「すべての女性が輝く社会」づくりのために、
より一層、女性の要望の通りやすい社会へと変化していくことは、
なんの問題もないことだろう。
皆婚時代は、たとえ女性が仕事に就いたとしても、
腰掛け程度にしか思われておらず、
(今でも、マタハラなどもあるので、女性に優しいとは言えないが…)
女性が期待されるということは難しかった。
結婚すれば、仕事を辞めて家庭に入ることが常識だった。
そう、常識だったという過去形なのだ。
共働き社会へと変化したのか
妊娠・出産を機に女性が離職する割合は6割程度になるそうである。
基本的に、女性の有識者はなんらか社会に貢献したいという人が多く、
すべての女性が社会で活躍したいと願っていると思っている節がなくはないなと思う時がある。
この6割は、日本の福利厚生制度の犠牲者のように捉えられるが、
果たして、本当にすべての人が犠牲者なのだろうか。
止むを得ず、子育てのために離職を余儀亡くされた人も確かにいるだろう。
しかし、家庭に入って、子育てに専念したいと思っている女性がいないとも限らないのではないだろうか。
ちなみに、
僕たち夫婦は「どちらかが家庭に入る」ということを、
結婚した際には決めていた。
政府が掲げる「すべての女性が輝く社会」には、子育ても含まれるから、
専業主婦を推進することはないかもしれないが、
家庭を大切にする生き方も一つの選択肢としているのではないかと思っている。
すべての人が社会に出て働くことを望んでいるとは限らないのではないのかと思う。
家庭に入って、家庭を守ることを望む人が一定数いる可能性だってあるだろうし、
それは男女の区別ではなくではないだろうか。
共に働くことを望む社会というよりも、
不況という名の下に、共に働かなければ家計が支えにくい社会になりつつあるようにも思う。
まぁ、言葉は悪いが「共働け社会」とでもいうべきか。
沖縄で共働き世帯は半数ほど
最低賃金や貧困などで有名な沖縄。
しかも、出生率が多く、大家族が多い。
おそらく、共働き率が高いことだろうと思っていれば、
実は、共働き世帯は約半数ほどだ。
離婚率は高いが婚姻率も高いので、
貧しいながらも慎ましやかに結婚生活を送り、
大家族で暮らしている世帯が多いと想定できる。
確かに、ただでさえ、所得が低くて有名な上に、
共働きではなく、1馬力で家計を支えるのだから、
「子どもの貧困率」が課題になるのも仕方がないのかもしれない。
しかしながら、
一番貧しいはずの県の婚姻率が、
一番豊かじゃないかと思われる東京に次いで、
全国第2位なのだから不思議である。
ちなみに、沖縄も東京も未婚率は男女ともに上位である。
沖縄の結婚に関する統計を見ると、
他の都道府県と比べても、特異であるから、
沖縄は沖縄なりの分析が必要で、
全国と比べて例外が多すぎるのだ。
貧しく(平均年収など)、子どもが多く(出生率)、そして、共働き率はそれほど高くない。
まぁ、子どもが多ければ、子どもを預ける支出が、外へ働きに出て得る収入を上回るだろうと予測できるから、
なかなか共働きをするのが割に合わないのかもしれない。
そもそも、待機児童数(率ではなく、実数)も東京に次いで第2位で、
子どもが預けられないので、働くに働けないという事情もありそうだ。
どうも沖縄の結婚と、経済力というのは、
子どもの幸不幸を抜きにすれば、あまり関係ないようだ。
そもそも「子どもの貧困率」は事実であっても、
「子どもの貧困率が高いから、子どもが不幸である。」というのは、
想定できても、事実を幸不幸を判断するのは自分自身である。
子どもの貧困という大人の責任
悲しいかな、子どもの貧困は実際に存在するが、
子どもが自分たちが貧困だとそれほど気がついていない気がする。
沖縄では、その格差はどこか当たり前なのだ。
その当たり前が実際に課題の部分であり、
変化が求められるとこなのだろうと考える。
まぁ、全国平均と比べて、だいたいワーストをかっさらう沖縄県に対して、
子どもたちが自信喪失している点は感じる部分はある。
映画「沖縄を変えた男」では、負け犬根性も持たない沖縄の人たちも描かれている。
また、福井県を舞台にした映画「チア☆ダン」でも、
「福井地獄」という言葉で、負け犬根性から抜け出せない福井県の県民性が描かれている。
しかしながら、
福井県のチアダンスチームが全国1位になったように、
沖縄県にも西原高校のマーチングバンドチームが世界で5連覇していて、
まもなく、6連覇をかけて取り組んでいる。
「子どもの貧困」という刷り込みや思い込みが、
結果的に、沖縄県民の負け犬根性に拍車をかけてしまっていないかと感じる部分もある。
確かに、
児童虐待やDVが沖縄は多いらしい。
なので、まったく関係ないわけではないが、
それがすべてのように語るのは危険だと思っているのだ。
無理が生じはじめている
教師が授業を考えるときに、
多くの教師は、自分の経験や、他の授業例を見たり、
教師用教科書に記載されている学習指導計画に沿って考えることが多い。
授業のたたき台を0から考えることよりも、
実体験を元に考える人が多い。
結婚も同じで、
実体験を元に、自分の結婚生活のプランを考えるはずなのだが、
今の婚活者世代は、皆婚時代の申し子である。
「男は仕事、女は家庭」という呪縛が存在する。
男も女も仕事の時代になった。
とはいえ、沖縄においては、そうでもないことも述べたが、
それでも、半数は共働きである。
共働き夫婦にどれくらいの子どもがいるのかも想定すべきかもしれないが、
この辺りの数値は分からないので、想像しても無駄に終わってしまうので、
ここでは議論しない。
とはいえ、
今後、待機児童などが解消され、
女性が働きやすい環境が整えば、
共働き率も上昇するかもしれない。
自分の家庭イメージの呪縛からの脱出が必要
結婚するということは、
自分の育ってきた家庭の真似をすることではない。
新しい家庭を築くということである。
そもそも共働きではなく、「男は仕事、女は家庭」の専業主婦全盛期に子どもとして育った世代が、
そのままの家庭観で結婚できるわけがないのだ。
今、仕事をする女性が、家事も育児もする。
男性は、イクメン、家事メンと呼ばれて手伝っているものの、
そういう人が現れはじめただけで、
結果的に男性の家事育児の参加時間はそれほど上昇していない。
「ワンオペ育児」という言葉が生まれたけれど、
はてさて、専業主婦の頃はもっと「ワンオペ育児」だったんじゃないのだろうかとも思う。
「女は家庭」というのはそういうことだったはずだ。
今の夫婦の課題として、「ワンオペ育児」「イクメン・家事メン」という言葉から読み取るに、
「男は仕事、女は家庭」という呪縛から、
この「共働け社会」には適応していないのだろうと思う。
まずは、皆婚時代の呪縛からの脱出が必要になるのではないだろうか。
2人で考えて、2人で新しい家族観を生み出す
2人がどのように結婚生活を送るのか、
お互いの人生観や家族観はどうなのか、
それをじっくりと咀嚼して、
新しい家族をつくっていくことが大切な時代に入ってきたように思う。
時代が代わり、新しくなったのだから、
家族の形も新しくなるべきなのだ。
過去の皆婚時代のままというわけにはいかない。
お互いの人生観を尊重しながら、
お互いの人生観にマッチした家族づくりが必要なのだ。
女は仕事、男は家庭
我が家は、「女は仕事、男は家庭」という選択肢を選んだ。
諸事情はあったものの、
得意分野で考えれば、これがスッキリした選択だった。
しかしながら、結婚し、
出産・妊娠は女性しかできない。
その時に男性ができるのは、家事なのだ。
もちろん、育児の大半もサポートできるけれど、
あくまでもサポートなのである。
子どもが母親を強く求める以上は、男性は女性のフォローが必須になるのだが、
どうも「女は家庭」というのを大義名分にして、男性がサボっている部分があるのかもしれない。
特に産後3ヶ月は、女性は不眠不休で子どもの世話をする。
男性はなかなかそこには入り込めない場合が多いので、
子どもの世話以外で愛する妻を支える覚悟も必要だろう。
そう、家庭なんてものは、自分たちで新しくつくれば良いのである。
今、婚活している人の多くは、
皆婚時代の影を引きずっているように思う。
そんなのは時代錯誤になるに決まっているのだ。
これからは、お互いにどんか家庭を築くのか、
お互いが心地よい新しい家族を考えることが、
婚活から早く卒業させる機会を与えてくれるかもしれない。
皆婚時代の常識は当てはまらなくなったことは、知っておいて欲しい。
もう時代が違うのだ。
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