袖触れ合うも多生の縁
- 婚活先生
- 2017年6月22日
- 読了時間: 2分
「多少」ではなく「多生」

「袖触れ合うも多生の縁」と言いますが、
「多少の縁」と勘違いしている人はいないでしょうか。
≪多少≫
【名】
1 数量の多いことと少ないこと。多いか少ないかの程度。「多少にかかわらず、ご注文に応じます」
2 《「少」は助字》多いこと。たくさん。
【副】
数量のあまり多くないさま。程度のあまり大きくないさま。いくらか。少し。
≪多生≫
1 何度も生まれ変わってくること。
2 多くのものを生かすこと。「一殺多生」
(goo辞書より)
「多少の縁」と読んでしまうと、
袖が触れ合う程度でも、
【大なり小なり縁がある】とか、
【たくさんの縁がある】とか、
【少しは縁がある】とかに読み取れます。
しかし、本来は、
「多生の縁」が正しいので、
袖が触れ合う程度でも、
【前世からの縁】
同じくgoo辞書から意味を引用すると、
【この世に生まれ出るまで、何度も生死を繰り返している間に結ばれた因縁。前世で結ばれた縁。「袖振り合うも多生の縁」】
という意味になるのです。
最近では、RADWIMPSの「前前前世」といったところでしょうか。
袖が触れ合う程度でも、前世からの因縁があると考えられていたようです。
そう考えると、
今世で同じ時期に結婚という目的のために出会った人とは、
どれほどの縁で結ばれているのだろうかと思うことがあります。
中学時代の部活の顧問の先生が、
「ここにいる仲間は、運命的で奇跡的な仲間だ。」
と言っていたのを思い出します。
地球上で、現在73億人ほどの人が暮らしていると言われています。
その中で、同年代で、日本の沖縄の中で暮らしていて、
結婚を目的にした2人が出会うということはどれほどの確率なのだろうかと思うのです。
縁はあります。
あとは、その縁を結ぶか結ばないかのかは自分で決めることです。
神様が結んでくれるのかもしれないですが、
でも、自分で結ぼうとしなければ、それは成就されないのではないでしょうか。
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