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【生きる】ということについて

  • 婚活先生
  • 2017年6月23日
  • 読了時間: 6分

特別編でお届けします。

本日、沖縄では「沖縄の慰霊の日」と呼ばれ、

沖縄戦で亡くなったすべての戦没者を敵味方の分け隔てなく慰霊する日に定められています。

沖縄の民間人だけではなく、アメリカ兵も日本兵も分け隔てなく慰霊する姿に毎年、素晴らしいことだなと感じています。

「沖縄県慰霊の日を定める条例」より

第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。

第2条 慰霊の日は、6月23日とする。

恥ずかしながらと言うべきか、

僕が沖縄県外にいる時は「慰霊の日」を知る機会はほぼなく、

もしかしたら、妻と交際している時に話は聞いたものの、

「学校が休みになる日」くらいの認識しかありませんでした。

僕が子どもの頃の学校教育では、

「沖縄戦」や「慰霊の日」がなかなかピックアップされない状況でしたので、

「知らないのは当然」というのは失礼な話とはいえ、

沖縄県外の人、つまり、多くの日本人やアメリカ人にとっても、

特別な日ではないだろうと思うと、

自分もそうであったにも関わらず、切なくなり、

自分の周辺の人だけでも伝えて生きたいなと思うようになりました。

何よりも、

すべての戦没者を慰霊するという理念が素晴らしいと思うのです。

まったくいないとは言い切れないかもしれませんが、

望んで人殺しをしたい人はいないと思っています。

なので、人を殺さなければいけない状況を生み出す【戦争】というもので、

戦地に赴く人や自国を守る人、どちらも被害者なのかもしれません。

沖縄戦で亡くなった多くの民間人は被害者としか言いようがありません。

広島・長崎の原発も凄惨な出来事です。

しかし、実際の恐怖で言えば数日の出来事です。

もちろん、心的外傷として、今もなお苦しめられている人もいるので、

日数だけで測れるものではないでしょう。

沖縄戦については、10・10空襲があったり、鉄の暴風雨と言われる艦砲射撃に晒されました。

4月1日にアメリカ兵が沖縄本島に上陸して以来、

6月23日に、日本の基地機能が機能しなくなりましたが、

その後も、ガマ(防空壕として使われた洞窟)に隠れ続けた人もいます。

疑心暗鬼になっているので、

「戦争が終わった。」とアメリカ兵に投降を呼びかけられても、

ガマから出るには勇気が行ったことでしょう。

およそ3ヶ月あまりの地上戦があり、

何ヶ月も日の当たらないガマの中で過ごした人がたくさんいます。

沖縄県出身者でなくても、

これくらいの知識ならば、知ることはできますが、

実際に経験した人の話を聴かせていただく機会は、

戦争経験者の高齢化によりだんだんと亡くなりつつあります。

「慰霊の日」を通して、

本当に平和であり続けないといけない。

人と人が国の指示で殺し合う時代が来てはいけないのだと思わされます。

沖縄県出身の人は、とてもとても強くそれを感じているのが、

今日の6月23日に強く感じさせられる日です。

ラジオ番組でもテレビ番組でも、必ず「慰霊の日」について取り上げられます。

沖縄県外で言えば、

「広島原爆投下の日」「長崎原爆投下の日」「終戦記念日」のような感じです。

でも、沖縄戦は沖縄だけの話ではなく、日本全体の話であり、

慰霊されるのはアメリカ兵もですから、

全世界の話と言っても良いのではないかと思うのです。

 

「戦争で死んだ兵士のこと」という絵本があります。

また、

「戦争のつくりかた」という絵本もあります。

「戦争のつくりかた」という絵本は、

【「戦争のつくりかた」アニメーションプロジェクト】によってアニメーション化されました。

まったく偏りがない、プロパガンダではない事実だと言えば、嘘になってしまいますが、

可能性として知っておいても良いと思っています。

「戦争で死んだ兵士のこと」という絵本は、

兵士が戦争で死んだところから始まり、

時間が遡っていきます。

そして、彼に大切な家族とその思い出があることを教えてくれます。

誰かが死んでいくということは、必ず誰かが残されるのです。

友達もまったくおらず、兵士仲間もおらず、天涯孤独という人は、

社会性の動物である人間にはまずないことでしょう。

慰霊の日になると、

糸満にある平和祈念公園に遺族などが集まり追悼式が行われます。

そして、戦没者で亡くなった親族や友人たちを慰霊するのです。

戦争の一番も課題は、

「人を殺す」ことをお互いに国から強要されたり、

マインドコントロールによって、殺しても良いものだと洗脳されることです。

しかし、生を受けた以上、必ず、家族はいるのです。

孤児だとしても、施設の仲間や、

前述のように、家族に先立たれたとしても、友人や同僚などがいるのです。

国や顔の見える親族や友人のために戦地赴くというのは勇気かもしれません。

送り出す方はきっと気持ちの良いものではないでしょうし、

戦場を経験し、人を実際に殺した人は、その後、心的外傷に苦しむと言われています。

戦争をして喜ぶのは、誰なのでしょうか。

おそらく、戦場にいない人なのではないかと思うのです。

 

この慰霊の日に、小林真央さんが死去したというニュースが飛び込んできました。

早すぎる死、残された子どもたちや家族のことを考えると本当に胸が痛みます。

こんな辛い思いをするくらいならば、結婚や家族なんていらないのではないかと一瞬頭をよぎりました。

しかし、小林真央さんを支えた市川海老蔵さんや子どもたちは、

こんな辛い思いをするのであれば、

「結婚しなければ良かった。」

「産んでほしくなかった。」

と思っただろうかと思うのです。

おそらく、ご家族以外には分からない辛さが未だあるとは思いますが、

結婚して夫婦として暮らした時間や、

子どもが生まれた家族として過ごした時間はかけがえのない思い出になっているのではないでしょうか。

もしかしたら、軽く聞こえてしまうかもしれませんが、

今世で家族として過ごせたことを思い出として、

残された家族の中で思い出として、小林真央さんは生きていくことになるのではないかなと思うのです。

 

生を受けた以上、

必ず、家族や友人・知人が存在します。

誰とも関わらず生きていくことは不可能なのです。

そして、家族や友人・知人の死を避けて通るとすれば、

自分が一番はじめに亡くなるしかありませんが、

それは、周りの人を苦しめる結果になるのです。

そして、結婚という特別な関係もあります。

結婚相手だからこその辛さがあるでしょう。

子どもだからこその辛さもあるでしょう。

生を受ければ、死ぬことから逃れられません。

そして、大切な人が亡くなることも逃れることもできません。

大切な人が亡くなることはとてもとても辛いことでしょう。

それこそ、そういった経験がある人しか分からない辛さもあるでしょうが、

その辛さの根っこには、大切な思い出があるのではないでしょうか。

 

慰霊の日の特集でラジオに寄せられるリスナーさんのコメントに耳を傾けていると、

大切な人を沖縄戦で無くした話や、

イラク戦争で無くした話がありました。

大切な人がいたからこそ、辛い事実として、

僕のように身の回りに沖縄戦体験者がいない人間よりも、

もっと強い気持ちを持って恒久平和について祈願しているのではないだろうかと思います。

人の死はとてもとても辛いことですが、

その辛さの裏には、故人をとても大切にしていたという裏返しではないでしょうか。

 

結婚し、家族になることは、

多くの場合、家族との死別との出会いが待ち受けています。

そんな辛い思いをしたくないかもしれません。

でも、亡くなった人との思い出があります。

そして、家族の心の中では、その思い出を通して、いつまでも生き続けるのではないだろうかと、

考えさせられる日になりました。

 

亡くなった人の本当の思いを伝えられるのは、家族だけなのです。


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