「空気のような存在」を誤用しない
- 婚活先生
- 2017年7月20日
- 読了時間: 2分

同じ言葉でも使い方によって意味合いが変わってくることがあります。
もったいないなぁと思うのは、
「空気のような存在」という表現です。
空気のような存在という表現だと、
なんだか「いてもいなくてもよい存在」というイメージが、
社会的に定着してしまっているような気がします。
同じよう「いても目に止まらない」など、
なんだかネガティブなイメージが強いように感じています。
実際のところ、「空気のような存在」とはじめて表現した人がどういう思いだったかはさておき、
この表現はとても的を射た表現に思うのです。
主に、夫婦関係に使われることが多いこの言葉ですが、
空気とは、目に見えませんし、意識しないと「空気」という存在には気がつきません。
しかし、僕の周りには実際には「空気」が存在し、
もし、その空気がなくなってしまった時に、
僕らは生きてはいけないのです。
「空気のような存在」というのは、
当たり前のような存在になっているけれど、
失ってしまうと息が苦しくなるような、
窒息死してしまうような存在と言えるのではないかなぁと思うのです。
窒素のような存在と言われても、身近ではないし、
窒素がなくても生きていけます。
酸素がなければ生きてはいけませんが、
窒素のように身近ではないし、
あくまで、空気の一要素でしかありません。
お互いにお互いを思いやる関係の中で、
お互いの気遣いがなくなる瞬間があるとすれば、
それこそが「空気のような存在同士」になれたということではないでしょうか。
必要不可欠であり、かといって、普段は当たり前のように側にいてくれる。
だからこそ、パートナー同士は常に感謝し合える関係がベストのように思います。
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