top of page

結婚は幸せか、不幸せか。

  • 婚活先生
  • 2018年8月20日
  • 読了時間: 6分

「籠の中の鳥」は幸せなのか?

結婚をして、家族を持つことで、自分の自由はある程度制限されてしまいます。 とはいえ、家族と過ごす時間も自分で選んだ道だとは思うのですが、 日常に義務感や束縛感を感じて、不自由さを感じる人も少なくはないように思います。

結婚に対するネガティブイメージの1つが、 自分の時間がなくなってしまうというもののように思います。

ペットや動物園の動物のように人に飼われている動物と、

野生の動物ってどちらが幸せだと感じますか?

これは人それぞれの答えを持っていれば良いし、 もちろん、別に答えを持っておく必要もないものですが、

少し結婚と重ねて考えてみたいと思います。

結婚すればパートナーがいて、 子どもがいれば、子どもの行事に時間を考えるようになったりと、 日常生活は変化していきます。

自分だけのことだけを考えていればよかった状態から、

結婚したり、子どもが生まれたりすれば、 家族のことも配慮する必要も出てくるでしょう。

結婚に息苦しさを感じる人も少なからずはいるわけです。

結婚12年もすれば、案外日常になっているような気もしなくはないのですが…

さて、その結婚の束縛感を「籠の中の鳥」のような例えをする人もいます。

制限がつくことに不自由さを感じ、それを籠と表現するわけです。

さて、冒頭の「飼われるのか野生のままかどちらがよいのか?」という考えですが、 おそらく、結婚のイメージは飼われる方じゃないかなと思います。

逆に、結婚しないで独身時代を自分の時間を自由気ままに使えるので野生という感じでしょうか。

ペットや動物園の動物は活動範囲が限定されています。 食事制限もしっかりされて、食べたいものを食べることもできません。

ペットや動物園の動物は動物虐待に当たると考える人もいれば、

今やペットの頭数の方が幼少人口よりも多い時代になりました。

ペットを飼うと長期の旅行に行くには、誰かに預けるかペットホテルも考えなければなりません。

最近は、ペットの介護なども課題になりつつある時代でもあります。

とはいえ、ペットに癒される人は多いし、 動物園に出かけて動物を見る人はいるのです。

動物たちの目線からすれば、確かに不自由なのかもしれません。 不自由と感じているかは分かりませんが、 どこでも行けるわけではないのでストレスを感じているかもしれませんが、 対照的に動物の寿命が伸びることもあります。

野生の動物たちは、籠や策がないので自由です。

しかし、餌を自分で確保しなければいけません。

何もかも自分で決めて行動できるということは、 何もかも自分で決めなければいけません。

お腹が空いて餓死することだって、 病気になって死んでしまうことだってあるのです。

「籠の中の鳥」の一般的な解釈は不自由であるということです。 しかし、別の解釈で、自由さと引き換えにリスクを伴うという考えもあります。

「籠の中の鳥」に対して、

「鳥のように自由に大空を飛び回りたい」という表現もあります。

しかしながら、籠を出ることというのは、 確かに自由を手に入れるものではあるものの、

天敵もいれば、餌も自分で捕らなければいけなくなるため、

飼われていた鳥が逃げると、大概カラスなどの大型の鳥に捕食されるか、

餌の捕り方が分からないまま衰弱していくと言われています。

一度飼われた鳥を野生に返すことは非常に難しいらしいのです。

自分がいるということは、

少なからず「家族」という籠の中にいるわけです。

そこから、独立して一人暮らしを経験するなどして、 それこそ籠の中から巣立つわけですが、 人間は学習できるので、リスク回避や生活の仕方を覚えることができます。

結婚は自分の生活の世話をしてくれる人を見つけることではないので、 そういう意味では、一旦籠の外にでることは意味があることのように思います。

さて、人間は社会性の生き物で、家族を持ち、家庭を築くわけです。

そして、その中で育ってくるわけですから、 ある意味で、家庭という籠の中で育っているわけです。

子ども自体はある意味、籠の中の鳥とも言えます。

人間にはいろいろなサービスを受けることができます。

なので、1人で生きているようで、金銭的対価を支払って、

たくさんの人に支えられて生きているのです。

人間は1人では生きていけない

まさしく、これは真理と言っていいと思うのです。

家庭というコミュニティに関わらず、 何らかのコミュニティに属して生きて行く人がほとんどです。

これは、結婚してもしなくても同じです。

さて、この家族や結婚でできる家庭というコミュニティは、不幸なものなのでしょうか。

家族の中の自分は不幸なのでしょうか?

家庭が居場所であることができるのであれば、それも1つの幸せの形じゃないでしょうか。

「井の中の蛙」という言葉もあります。

これを「籠の中の鳥」という言葉と重ねて考えて行くと、

実は「家庭の中の自分」というのが、多くの人の基本にあるのではないでしょうか。

基本的に人が生まれた時には家庭というコミュニティに所属することになります。

そして、自立して行くわけですが、自立しても会社というコミュニティに所属したりもします。

つまり、案外、人というのは、集団でいることを望んでいるのではないでしょうか。

もし、人は井戸という家庭で過ごして育ちます。 そして、社会に出て様々な経験をするわけですが、 結婚ほど別の井戸に飛び込む行為はないのです。

結婚が不自由の代名詞のようになっているような感じがする近年、

もし、結婚を自主的に選択するのであれば、 それは結婚の自由の行使であり、それである程度の制限がつくことって不自由なことなのでしょうか。

野球だってサッカーだって、ルールという不自由さがあるからこその楽しみもあります。

ここで言いたいのは、自分から望む一般的に不自由そうなことが、

幸せや不幸せとはあまり関係ないということです。

「結婚をしなくてもいい」

「結婚は自分の生活を不自由にする」

「結婚は人生の墓場だ」

みたいな考え方というのは、

もしかすれば、井の中の蛙のような考え方なのかもしれません。

体験したこともないことを語るということを否定はしません。 見切り発車で結婚することが良いとも思えませんし…

とはいえ、一概に決めつけてしまうのももったいないように思います。

人は結婚し、家庭を築くというシステムを世界各国で取り入れいるし、 制度で決まるよりも前から当たり前のように受け継がれてきたのです。

人が結婚するのには、なんらかの意味があるなり、 結婚することになんらかの良さがあるからこそ、 強要されることなく脈々とつづているのではないでしょうか。

最後に、結婚することは、幸せなことなのでしょうか、不幸せなことなのでしょうか。

自由さが必ずしも幸せかどうかには関わらないはずなのです。

「家族の中の自分」が幸せなことなのか、不幸せなことなのか、 一度、じっくり考えてみることはとても大事なことのように思うのです。


Comments


婚活先生 山下幸二の

​ここテストにでません

毎週 木曜日 午前8:30ごろ〜9:00

  FMぎのわん 「モーニング8」内で放送中

 

ツイキャス・USTREAM・Listen Radioで、全国どこからでもリアルタイムで視聴できます。

​YouTubeの「婚活先生」チャンネルでも随時更新中!

最新情報をお届けします。

メールアドレスを入力してください。

  • Facebook Social Icon
  • Twitter Social Icon
  • YouTube Social  Icon

© 2017 by Koji Yamashita 婚活先生 konkatsusensei.okinawa@gmail.com

bottom of page