縁を感じられる人と感じられない人
- 婚活先生
- 2019年3月29日
- 読了時間: 4分

「出会いがない」と言っている場合、
およそ2つに分けることができるように思っています。
1つは、本当に出会いがない場合、
職場と家の往復で、沖縄では車移動、職場に新しい人が入ってくることはほぼなく、
出入りの業者や自分が出ていくわけではない場合、
ほぼほぼ同じ日常が繰り返されるので、物理的な出会いがない場合といえるでしょう。
これで実家暮らしだったりすれば、
買い物に出かけることもほぼないだろうから、
仕事以外は家に引きこもった状態ならば、
絶望的に出会いはないと言えるんじゃないかと思います。
この状況を打破せずに、結婚したいと言うのであれば、
誰かがお見合い相手を連れてきてくれるのを待つか、
引きこもり状態を抜け出す方法を考えるべきでしょう。
もう1つは、友達がいたり、趣味もあったり、飲みにいったり、
行動的になのにも関わらず、出会いがない場合があります。
物理的な出会いはあるのだけれど、
これといった人に出会えていない「出会いはあるけれど、出会いはない」という状態です。
まぁ、前者にしろ後者にしろ、今までに少なからず出会いはあったはずなのですが、
今まで恋愛感情を抱かせたり、結婚の条件をクリアしている人がいなかったのかもしれないわけです。
縁というのは分かるものではなく、自分で感じるものです。
結婚している人はその縁を感じられた人で、
なかなか縁を感じにくい人は結婚に縁遠くなるように思います。
縁は感じるものの相手にされないという可能性はありますが、
数打ちゃ当たる的な部分もあるので、やはり縁を感じれるかどうかは大きいように思います。
ほとんどの人はきっと超能力者じゃないでしょうし、予言者でもないでしょうから、
『この人が結婚相手だ!』『赤い糸が見える』みたいなことはほぼないでしょう。
もし、あなたに超能力や予言する力があるのであれば、
自分が結婚できるのかどうか、結婚できるならいつで、どんな相手なのかは分かっているはずなのです。
そういう人はその時まで待てば良いし、婚活などする必要はなくなります。
恋愛とは、結婚とは、それがよく分からないからこそ、
婚活をするのではないでしょうか?
恋愛とか結婚とか分からないことはまったく恥ずかしいことではありません。
だって、愛なんてずっと哲学で解き明かそうとしてまだ解き明かされていないのですから、
愛を感じられる人はいても、それを説明できる人なんかいないのです。
縁も同じで、縁を感じられる人はいても、
縁とは何かを説明できる人はいないのではないかと思います。
縁とは結局のところ、個々の判断によるものです。
地球には75億の人がいて、日本にはおよそ1億3千万の人がいて、
沖縄にはおよそ142万の人がいる。
本島だけでいえば、およそ139万もの人がいる。
その中で人生の中で出会えるのはほんのわずかです。
出会えることが縁だと感じれば、
すべてが結婚相手として縁ではなくても、
反面教師になる人の縁かもしれないし、嫌いになる人の縁かもしれないけれど、
友達になったり、恋人になったり、大切な人になる縁かもしれないわけです。
出会った人に縁があり、それはなんらかの意味があると考えることができるようになれば、
一期一会なり、袖触れ合うも一生の縁で、
この時代の、この時に、この場所で出会ったのは何かの縁なのかもしれないのです。
縁の中には、良縁もあれば、悪縁もある、腐れ縁だってある。
だからこそ、どんな縁になるのかは分からないからこそ、
縁は大事にしないといけないように思うのです。
せっかくの一期一会なのにも関わらず、
短い時間で縁があったかなかったかの判断をしているのであれば、
それは縁を感じられない人なのではないかなと思います。
婚活をすれば、【縁】自体はあるのです。
その縁を生かすも殺すも自分次第なのです。
出会いや縁は思っている以上にたくさんあるのではないでしょうか?
僕が今、古民家で住んでいるのまた、何かの縁なのです。
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